続・落とす人と拾う人
ホテルに勤務していた頃の話。
夜の10時ごろ
ひとりでカウンターに立っていた。
レストランはもう閉店していて、
バーにいらっしゃるお客様が中心の時間帯。
ロビーは閑散としてくる。
ホテルの中は
こういうしんとした時間が一日に何度かあるのだ。
アテンドを兼ねたそのカウンターに立ち寄るお客様ももういない。
そんな時に
「これ、拾ったからフロントに届けておいて」
いきなりそう言われた。
見れば
お顔はよく知っているけれど、顧客といわれるほどではないお客様が
(けっこう失礼な言い方かもしれないね。)
ぽいとカウンターに何か置いていった。
その方はそのまま、あっという間にどこかに行ってしまわれ、
あとには私と、そのモノだけが残された。
手を伸ばしてみて驚いた。
札束じゃん。
無造作に
二つ折りにされてクリップで留められた札束。
日本円で十五万円ちょっとと、中のほうに米ドルも混じっている。
――閑散としたロビー。
――仲間の従業員もひとりもいない。
――このことを知るのは、私と、名前の分からないお客様だけ。
――安月給の身。
悪魔がささやいた。
*************************
結局それは、
外国の宿泊客の方が落とされたものだった。
私のなかの悪魔は見事に天使に敗れ去り、
しばらくしてからそそくさとフロントに届けたのだ。
名前の分からないお客様は、あるレストランの顧客で
お礼が言いたいという、落とし主であるその外国の方のために
半日を費やして、記憶を頼りに探し当てなければならなかった。
忙しい時間帯のレストラン部は
なかなかまともに話も聞いてくれず、
出発の時間が迫っている落とし主のために孤軍奮闘した結果、
ようやく拾い主のお名前などが判明した。
その後のことは
レストランの黒服とフロント・マネージャーに全て任せたので
どうなったのかは分からない。
それにしても
ご覧になった経験があるという方にはお分かりでしょうけれど、
閑散としたホテルのロビーに置き去りにされた十五万円というのは
けっこう迫力があるものです。
しんとしたロビーでね。
悪魔のささやきが聞こえるくらいの。