仰げば尊し | ノスタルジック小学校

仰げば尊し

知人夫婦の会話である。

うちと同じで、6年生の子どもがいる。

「ねえねえ、卒業式に 仰げば尊し 歌わないんだって。」
「へえ、じゃあ何歌うの?」
「たしかねぇ、・・・3月9日だったかな。」

「・・・日にちじゃなくってさ、何歌うんだよ?」

「だからぁ、たしか、3月9日よ。」
「日にちは分かったよ、しつこいなぁ。オレは卒業式に何を歌うかって聞いてんだよっ!」



あわや夫婦喧嘩である(笑)。

でも
これは本当の話で
うちの子が通う小学校では、どうやら卒業生は仰げば尊しを歌わないらしい。

かわりに歌うのが 
レミオロメン3月9日なのだ。

この間までフジテレビで放送していた1リットルの涙というドラマの中で
主人公の女の子のクラスで合唱した歌である。
実際の卒業式は3月9日じゃなくてもうちょっと後なんだけどね。
ややこしいよね。

でも
個人的な感想を言わせていただくなら、
卒業式に仰げば尊しを歌わないなんてちょっとひどすぎる。
卒業生はあの歌を歌ってこそきれいに学校を卒業できるというものだ。
サビ部分の
いーまーこそー わかぁーれめー
のあたりで親は涙を流しハンカチを握り締め、子どもはぐっと涙をこらえる。
そして軽いフェルマータの後に
いざー さらぁーあーばー
としっとり歌いあげるあの感動。

あれがないとちょっと卒業式とはいえないんじゃないだろうか。

別にレミオロメン歌っても森山直太朗歌っても
オフコースでもドリカムでもミスチルでも何でもいいんだけどさ、
仰げば尊しもできれば最後にちゃんと歌ってほしい。
そりゃあ
最近の卒業式で歌わなくなった背景なんてのもいろいろあるようだし、
一理あるよな、なんて思わなくもないんだけれど。

思うんだけど
日本って世代を超えたスタンダードというものが、あまりになさすぎるような気がする。
おじいちゃんおばあちゃんから子どもまでがそろって歌えるのは
キャンプファイヤーの燃えろよ燃えろくらいのものじゃないですか。

美空ひばりでも石原裕次郎でも尾崎豊でもなんでもいいけれど
時代を超えてみんなで口ずさめる歌みたいなのが
この国に
もっとあってもいいんじゃないかなと思うんだけれどどうなんだろう。

そういう姿勢を作り上げるにはいったい何が足りないんだろうか。

ひとつには
国民レベルでの歴史的解釈かもしれない。


他にはなんだろう。


――レミオロメンで泣けるかなぁ。