エール | ノスタルジック小学校

エール


よその家庭のことは他人には分からない。
ましてや
その夫婦の間のこととなると、とうてい窺い知ることはできない。

もちろんこれは一般論だ。

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近所に住んでいたある夫婦には、よちよちと歩き始めたばかりの小さな男の子がいた。

旦那さんは眉毛の濃い男らしい人で、奥さんは品がよく優しそうな人だった。

ご近所さんだから
会えばしばらく立ち話をし、急な雨が降れば声を掛け合う仲だった。
奥さんとは育児の話もよくした。
いろいろとこぼしていたけれど、
初めてのお子さんだし、
ふたりの間に不安そうなことがあっても
大丈夫だよ、と
あまり深く考えてあげることはしなかったかもしれない。
そのうちに。 時間がたてば。
ありきたりな言葉を並べていたかもしれない。

去年の今ごろ
突然、奥さんが小さな男の子を連れていなくなった。

夫婦喧嘩くらいはどこにでもあることだから
そのうち帰ってくるだろうと思っていた。

春が終わり梅雨が来て去り、夏が始まっても旦那さんはずっと一人だった。
淋しそうではあったけれど
なんとなく立ち入ったことも聞けずに
秋が来て去って行った。

共通の知り合いの人から
ふたりが正式に離婚をしたのだと告げられたのは、年が明けてすぐのことだった。
理由は聞かなかった。
そんなの知人を介して聞くべき事柄じゃないだろうと思ったから。
あんなこともこぼしていたな。
こんなことにも悩んでいた。
胸がつっかえるような気持ちになったのは、私が聞く耳を持たなかったせいだろうか。

つい先日、
とうとうその旦那さんも引っ越して行くことになった。
ひとりで住むには広すぎる家だし、
どうせなら会社の近くに住むつもりなんです
と彼は言った。

引越しのときに
一年ぶりに奥さんと男の子に会うことができた。
数人の女友達と共に
既に少なくなった彼女の荷物を引き取りに来ていたようだった。
よちよち歩きだった男の子はしっかり歩くようになり、
とても上手におしゃべりをするようになっていた。
一年前と比べると
奥さんとその男の子には
以前よりも強い、しっかりとした絆が感じられた。

ほんの十数分ほど話をすると、
彼女は 「また改めて伺うからね」 と言い残し
引越しで散らかった部屋の中に戻って行った。

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今日、
手紙が届いた。

彼女らしい、丁寧な字で書かれた文章には
お目にかかることなくお別れする失礼をお許しください、と書かれてあった。
そちらで生活していた時には親切にしていただき、ありがとうございました。
また迷惑もかけてしまったことをお詫びします
、という言葉も。

迷惑なんてちっともかかっていない。
むしろ気の利かない隣人で申し訳なかった。
きっと
たくさん悩んでたくさん傷ついて、たった一人で結果を出したんだろうな。
私の方こそ
もっと親切な言葉をかけてあげればよかった。
もう一歩踏み込んであげればよかった。
ありきたりな受け答えだけじゃなくて、
彼女たちのためにもっとしてあげられることがあったかもしれないのに。

差出の住所には、引っ越す前の、すぐ近所の住所が書かれてあった。
だから
以前やりとりしていた携帯メールに手紙の返事を送ってみたけれど
とうにアドレスを変えてしまっているみたいで、届かなかった。

彼女がこのブログを見ることはおそらくないだろう。
だからここに書くことはきっと無意味に違いない。

でも
どうか身体に気をつけて。
あなたの小さな男の子と一緒に
これからも幸せな日々を送ってくださいと
そう願わずにいられない。

あなたたちふたりを応援しています。