海猿 | ノスタルジック小学校

海猿


夫に付き合って海猿を見た。

別に今じゃなくてもよかったんだけど
先に見た夫に、にやにやしながら小出しにあらすじをばらされるのは
決して気分のいいものじゃないもんね。
どうせならついて行って一緒に見ちゃえというわけだ。

連続ドラマをレンタルして
予習(というか復習というか)してから行くつもりだったのに
レンタルショップはいつも貸し出し中。
待ちに待ってようやく5巻の最終回を借りることができたので
予習はもうそれくらいでいいやと諦めた。

館内はもっと混んでいると思ったら意外と空いていた。

はじめのうちはもう感動して感動して、ハンカチ片手に見ていたんだけど、
途中あたりから
海猿というよりは
超人ハルクみたいになってきちゃって、涙がどっかに行っちゃったよ。
まあ夫に言わせると
あれがないと、その前で終わりだとしたらつまんねーだろ、ということなんですが。
やっぱそうかな。うーんどうだろう。

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思うんだけど
最近のドラマや映画のうち、評判になるものについては
いくつかのパターンがあるような気がする。
海猿なんかもそのひとつの典型的なものじゃないだろうか。

海上保安庁でも警察機構でも救命救急センターでも
海自でも陸自でも学校でも舞台はどこでもいいんだけど、
結局、現場の人間がいちばん信念があるんだという典型。
今までの
一晩でスターやお金持ちや社長になる話ではなくて
末端の名もない人々が、誠実に正直に仕事をやり抜いていく情熱や
銭金じゃ動かせない物事がきっちりと形になって描かれてあるような話。

これって
おそらくはかつての日本人がこうであったのだと言いたいんだろうなという気がしなくもない。

ちょっと極端な例だけど
昔は民家に強盗が押し入っても、
一晩でそこのおじいさんおばあさんに改心させられてしまうような美談があった。
たとえ道端で行き倒れても
見ず知らずの人たちにごはんをご馳走になりお風呂をいただき一晩泊めていただいたあげく、
町内に住み込みで仕事までお世話されちゃうような、
そんな話をあなたもいくつか聞いたことがありませんか。

そうそう、
昔は日本のどこだって
義理と人情を大切に生きてさえいればいいんだ、なんていう風潮だった。
みんななかなかお上には逆らえずにいたけれど
正直に生きろ、お天道様はいつだって見ているんだぞ、なんてね。

今は世の中、どこもかしこも物騒になり
とうとう
末端の名もない人々のことさえも簡単には信じられない社会に成り果ててしまった。

だからというのは乱暴だろうか、
かつてのあの日本人の
誠実さは、正直さは、義理は人情はどこへ行ったんだと言わんばかりに
画面の中では、末端の人間が彼らや彼女らの現場で一生懸命に信念を貫いている。
誰が見ても理解しやすい職業で、その職業倫理を背負いながら。

いーんだよ、ちょっとくらいバカを見たって。
 いま正直にやっておかないと、きっとあとで後悔するんだから。
いーんだよ、そういうことはおカネじゃないんだよ。
 おカネの方を取ったばっかりに、自分を責めるときがくるかもしれない。

そんなものが伝わってくるような気がする。

もちろん
そうじゃないドラマもたくさんあるのだけれどね。

海猿を見ながら、そんなことを考えた。