遠く | ノスタルジック小学校

遠く


今はないO田小
校庭の東側の一辺が堤防になっていて、その向こうは海だった。

堤防に腰掛けると
目の前にはさあっと海が広がっていて
遠くには
ブロッコリーみたいな小島がいくつも浮かんでいたり
フェリーがゆっくりと通り過ぎたり
またもっと向こうには半島のずっと奥にある山が見えたりした。

遠くの山って
天気によって距離感が変わるんだよね。

煙ったようにぼんやりとくすんだ色をしている日もあれば
手で触れるんじゃないかというくらいに木々がくっきりとしている日もある。
山を見れば
雨になりそうだとか暑くなりそうだとか、反対に今日はずいぶんと寒い一日だとか
そんなことが子どもながらにも分かったものだ。

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昼休みが終わろうというころ
毎日
O田小の全校生徒120人余りが、いっせいに堤防に並んで座る。

すると
放送室のスピーカーからメロディーが流れはじめ、
曲に合わせて全員で一番高い山のてっぺんを見つめる。
しばらくして笛の合図があると
今度は片手を伸ばして、自分の人差し指の先を見つめる。

メロディーが流れる間、みんなでそのふたつを繰り返し続ける。

目のトレーニングだ。

保健室の先生が熱心な若い女の先生で、
子ども達によいとされることはなんでも試してくれた。

給食のあと、教室に塩水の入ったやかんが届く。
それで毎日うがいをしてみたり、
今では一般的だけど、
歯垢に反応して真っ赤に色が付く薬剤がある。
それを全員に配って、歯磨きの指導をしたりとかね。

目のトレーニングもその一環だった。

だけどその時は全然真剣にやらなかった。
子どもだから必要性がよく分からないし、
だいいちそんなことをしているより遊ぶほうが断然おもしろいもんね。
その間じゅう
自分がどこを見つめていたかなんてちっとも覚えていない。

幸いなことに
私は今でも視力がいい。
そのトレーニングのおかげだとは言わないけれど、
父親が近視なのに、幸運にも遺伝しなかったようだ。

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先日
次女が学校から視力検査の結果を持って帰った。
結果は要治療。
近所の眼科に急いで連れて行ったら、視力は0.3と0.4だった。
愕然としてしまった。
その眼科に機械を使ってのトレーニングに通うことになったのだけれど、
子どもの近視は親の責任だよなあとガラにもなく落ち込み、今も反省しきりだ。

その眼科の先生は言った。

毎日、理想は30分です。
でも15分でも20分でもいいです。
時間を作って、遠くを見てください。
ターゲットはなんでもいいですから、できるだけ遠くをね。


遠く?

周りを住宅に囲まれているこのあたりで、
遠くといったら一体どこらへんになるんだろう。
数メートル離れた電柱?それとも洒落た色合いの看板が妥当?
まさかね。

空を見上げるしかないのだろうか。どんよりとした無表情のこの空を。

智恵子じゃないけれど、いくぶん哀しい気分になった。

あどけない話かもしれないけど。