読書のこと 1 | ノスタルジック小学校

読書のこと 1



誰かから強制された覚えはないし、気が付いたらいつの間にか本を読んでいた。

私は本を読むことを苦痛に感じたことはない。
どちらかというと読書は好きだ。

小学校の図書室で
江戸川乱歩の少年探偵団シリーズにはまってしまって以来、
赤川次郎、横溝正史、
それから東京創元推理文庫の黒い背表紙の帆船マークのジャンル
(現在は創元推理文庫になっている)
を読み漁っていた。
あまり褒められたジャンルではないよね。
中学生の女の子が
ガストン・ルルーだのブラム・ストーカーだのレ・ファニュだの
ポーだのラヴクラフトだのを読み漁ってるんだから。

いわゆるベスト・セラーはほとんど読まずに
ひたすら自分の好きなジャンルばかりを探しては読んでいた。
今は
手当たり次第に手に入るものは片っぱしからページをめくるけれど
たまに英米の古い怪奇物を読めば
まるで古巣に戻ってきたように落ち着く。
我ながらあきれた趣味だと思う。

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近所に気になる古書店があった。

ちょっと前に一人の時間が出来たので、思い切って入ってみた。

よく行く大型古本店なんかとは全く趣が違っていて
一冊一冊を大事に扱っている、そんなふうに感じた。

店主は気のいいおじさんで、天気の話などしながら
買うなら買いなよ、買わないならそれでいいし
みたいな雰囲気をずっと醸し出していた。
「いらっしゃいませぇぇぇぇ」
「またお越しくださいませぇぇぇぇ」
なんて、大声で間違っても言わない。

そこでは福武文庫の文庫本を数冊購入した。
いずれも数十円ほど定価よりも価値が上がっていたけれど
好きなジャンルだったし今はもう入手が難しいものだったから
これくらいならむしろありがたいくらいだ。

好きな作家の言葉だ。

どんなに活字離れがあったとしても、何パーセントかの子供たちはきっと、放っておいても一生懸命本を読みます。
本にとって重要なのは、そういう種類の読者なのです。
「浮動票」みたいに本を読んだり読まなかったり、ベストセラーだけを追ったりする読者ももちろん総体として必要なんだけど、
本当に大事なのはそういう「深く気長に本を読む」ハードコアな読者だと思います。
そしてどんな時代にあっても、そういうハードコアな読者のパーセンテージって、そんなに変わらないんですよね。
僕の感じからいえばだいたい5パーセントくらいじゃないかと思うんだけど。


こちらは有名な女流作家の言葉。

本を読むと頭がよくなるとか、思慮深い人間になるとも、あまり思いません。
私は長い間子供の読書感想文コンクールの審査員をやっていますが、授賞式の時には、こう言っています。
「いっぱい本を読んだからと言って、頭がよくなるとか、
立派な大人になっていい会社に入るとかいうことは考えなくていい。
ただ、本を読むと、大人になった時に1人でいることを恐れずに済む人間になれます。」
だから活字離れというのは、そんなに気にすることもないのではないでしょうか。個人的にはそう考えています。



ハードコアに、
孤独を恐れずに
気長に本を読んでいきたいなと思う。