ノスタルジック小学校 -22ページ目

「飼う」ということ


以前に書いたんだけど、
瀬戸内には「タイコガニ」というカニがいます。
もしかしたら全国区なのかもしれませんが。
このカニは、横ではなく前に歩きます。めずらしいでしょ?


数年前になるけど、子どもと里帰りをして、海でタイコガニを見せてあげました。


昔と比べるとかなり海岸が汚くなっていてそれは憂鬱になったんだけど、
そのせいかタイコガニはなかなか見つかりませんでした。


やっと数匹現れて、やいのやいのと観察していると、子どもが
「飼いたい!」
と言い始めました。


急遽水槽を調達した私たち。

数日は実家で、その後水槽に入れたまま、今住んでいる神奈川に車で連れて帰ることに。
なんとかたどり着いて、ペットボトルを持って海に海水を汲みに行く日が続きました。
しかしやっぱり知らない海の水。

その後タイコガニは2週間ほどで全滅してしまいました。


残念そうな子どもたちが、庭にカニを埋めてお墓を作ってあげました。


でも


タイコガニたちは
いきなり捕まえられて、狭い水槽に入れられ、

知らない土地に連れてこられ、知らない海の水を与えられ、

そこでわけも分からずあっという間に死んでしまったのです。
そしてまったく見覚えのない土地に埋められてしまった…。


子どもたちにせがまれたとはいえ
タイコガニにとっては、これほど不幸なことはなかったよなぁと
私はとても反省しました。





ひとりっ子について思うこと  付け足し


だけど言い訳するわけじゃないけど、
一旦仲良くなると、とことん付き合います。
命かけてもいいほどです(大げさ)。


それまでの見極めに時間がかかるということなのよね。


きょうだいがいない人生というものは、
こうまでも人を偏屈にさせてしまうものなんでしょうか。


なんか独白っぽくなってしまった。
以上、ひとりっ子について思うことでした。


しつこいようですけど、世のひとりっ子に全てあてはまるものではありません。




ひとりっ子について思うこと 3


世のひとりっ子の方がみんなそうではないだろうけど、
やっぱりきょうだいなしに育つといろいろ影響はあると思う。


自分の場合、
①自分のペースを崩したくない
②自分のテリトリーに人を入れたくない
③ひとりきりの時間がないと困る
この3つは顕著だと思う。


①については幅広くて、時間や生活リズムもそうだし、
もっと言えば競争心とか基本的にない。誰かと張り合ったりするのがめんどくさい。
派閥もキライ。グループもキライ。なんとか大会とかなんとか祭りとか聞いても血は騒がない。
すすんでビリッけつを取りたがる。最後でけっこう。お先にどうぞ。


②は、他人にふいに触られたりとかが困る。どうしていいか分からない。
急な来客とかもイヤだ。ひどい時はチャイムが鳴っても無視する。電話してから来いと思う。
でも、急な電話も好きじゃない。連絡してから電話しろと思う。


③は譲れない。朝、家族を送り出してテキトーに家事を済ませたら、純粋に自分の時間だと思う。
本を読んだりPCに向かったり、至福のひと時である。わざわざ誰かと会ったりどこかに行ったり
よっぽど必要でないとしない。やりたくない。ひとりにして。でないと狂っちゃう。


だからよくひきこもりと間違えられる。


いつぞやも、そういえばここ最近外に出てないなぁと思っていると、
近所の奥さんに
「ねぇ、私たちあなたに何かした?」
とかなり真剣に聞かれた。


付き合いづらい人間だと自分でも思います。




ひとりっ子について思うこと 2

ひとりっ子がコンプレックスと書いたけど、
みんなにそうやって、いいねいいねと言われるたびに
「そんなふうにはゼッタイなってやるもんか」
という思いと、
「私ってそんなにいい思いをしてるんだろうか?」
という思いがごっちゃになって、
ものすごく居心地が悪くなる。


きょうだいさえいてくれたらこんなフクザツな心境にならないのになぁと感じたりして。


だから、大人になってからも
「ひとりっ子です」
と打ち明けるのがたまらなくイヤだ。


さすがにこの年になると、もう単純にいいねいいねとは言われないけれど、
「ええ?そうは見えないねぇ。」
なんて返されても


「本心なんだろうか?ホントはそうは思ってなくてめっちゃひとりっ子じゃんコイツとか思ってるかも。」

と勘ぐるし、


「やっぱりぃ?そんな感じだよね」
と言われても


「ああ、どこでバレたんだろう。やっぱり自分はワガママなんだワガママなんだ…。」

と落ち込んでしまうし、


「へぇ~」
のひと言だけでも


「ど、どう思ってるんだこの人は?きっといろいろ決め付けてるに違いないっ」

と不安になるし、


一瞬の受け答えの間にもう疑いまくりである。




ひとりっ子について思うこと

私が通ったO田小では、
クラスは男子14人、女子9人と以前書いたけど、
そのうちひとりっ子というのは3人だけだった。
男の子に2人と、女の子にひとり。


その女の子とは私です。


ひとりっ子というのがコンプレックスになることがあると思う。
子どもの頃からよく
「ひとりっ子だからいいねぇ」と言われた。


今時だと、ひとりっ子はかわいそう、なんて言う人がいると聞くけど
当時はきょうだいがいる家が多かったせいか、
かわいそうと言われた覚えはほとんどない。


代わりに
 なんでも独り占めできていい とか、
 親に思い切り甘えられていい とか、
 物をたくさん買ってもらえていい とか、
そんなことはしょっちゅう言われたような気がする。


でも
自慢じゃないけどウチの実家はとびっきりの貧乏だったし、
これも以前に書いたけど、母なんて甘えるどころか
ケンカになると腕力にモノを言わせて言うことを聞かせたがるタイプだったし、
(浴槽に顔を沈められたのは書いた。あと、洋服とかいきなり切り刻んじゃったりとか
 キレるとかなりコワかった)
誕生日だのクリスマスだのを祝ってもらったような記憶もほとんどない。


小4の時だったかな。


夕方外で遊んでいて、ふと何気なく自分の腕時計で日付を見たら
たまたま自分の誕生日だった。


母に告げたら
「そうだっけ?ああそうだ。本当だ。」
それだけだったよ。


ケーキもプレゼントもおめでとうもない。


これって当時は普通ですよね?(←確認)
どうですか?


昔って誕生日がイベントでしたか??




文通 オチ?


メール大好きの娘に


「昔はさぁ、マンガ雑誌なんかに文通希望欄ってのがあってさぁ、
 住所と名前と学年が載ってたんだよね。ママもよく出してみたもんだヨ。」


なんてしみじみ話していたら


「住所と名前?!
 それって個人情報じゃん。そんなに簡単に載っけていいの?チョー危ない!」


と一蹴された。


――個人情報ね。


――そーですよね。


でも楽しかったなぁ、文通。




不幸の手紙 3

私自身は文通希望で掲載されたことはないから、
過去に、文通しましょ♪と手紙を送った子たちから
(返事という形で?)不幸の手紙は回ってきたんでしょうね。
それは自己責任というか、仕方ないかもしれない。


でも
文通したくて掲載されたのに、不幸の手紙ばっかり送られてくる子どもたちは
ホントかわいそうですよね。


ある日学校から帰ってくると
いつものように手紙が1通届いていた。


何も考えずに封を切ると
中には、私が以前に送った不幸の手紙が入っていて、
「ごめんなさい、私は文通できるお友達を探しています。
 こういうことには参加できません。この手紙は返します。」
と書かれた便箋が一緒に添えてあった。


ガツンときた。


恥ずかしい話だけど、
雑誌を見ながらほんのちょっとだけ
「こんなにたくさん送り先があるんだもんね。いくら不幸の手紙が回ってきても大丈夫。」
みたいに考えていたのは事実。


文通相手を期待しながら、首を長くして待っている人の気持ちなんて
想像できただろうに、しなかった。


送り返した子は、すごく勇気があるような気がした。


それ以来、不幸の手紙は誰にも回さなくなった。





不幸の手紙 2


その後、
不幸の手紙とか幸福の手紙とかギネスブックに挑戦中の手紙とか
たくさん来た。


幸福の手紙ってのは一見楽しそうだけど、
「この手紙を○日以内に○人に送ると、とてもいいことが起こります。
そのかわり誰にも送らないと、とっても不幸なことが起こります」
って、結局、不幸の手紙と何も変わらないですよね。


そのうちに、
「どこどこのなんとかさんは、信じなくて手紙を書かなかったから
交通事故にあいました。」
みたいな具体的な不幸の事例が書かれたものにまで発展していた。
自殺した、なんてのもあったような気がする。


ギネスブックのやつはたしかハガキで、
「このハガキはなんとか県のなんとかさんが始めて、
何人続くかギネスブックに挑戦中です。途中で止めたら
記録を更新できません。○日以内に○人に送ってください」
ってな感じの文章が書いてあって、左端に過去の差出人一覧みたいなのも書いてあったっけ。
最新5人分くらい。それを全部写して、
なおかつ自分の氏名を書き足して次の人に送らなきゃならない。


子どもなりにも他人の氏名は間違えられないと思うから
神経使って一生懸命書き写した覚えがある。


そう、
いちいち送ってたんだよね。真面目に。


しかも
マンガ月刊誌の文通希望欄に載っている
見ず知らずの小学生たちに。





不幸の手紙


ある日ポストに入っていた1通の手紙。


開いて読んでみると「この手紙を7日以内に5人に送らないと
不幸なことが…」いわゆる古典的な不幸の手紙だった。


学校に持って行き、友達に見せると、
同じ手紙を持ってきた子が何人かいた。
差出人はポートボールで知り合った、市内で校外の子。
手っ取り早くチーム赤磯のメンバーに
まとめて出したのでしょうね。


「どうする?」


相談の結果、クラスの女の子たちに告白して、
お互いに出し合うことにした。
「ごめんね、出すからね」と
ちゃんと断ってからね。


そのときはそれでどうなったんだろう?
そこだけでくるくる回って終わったのかな。


よく覚えてないけれど、やっぱりそれだけじゃ終わらないはずだよね。
不幸の手紙は、きっとしばらくO田小にとどまってから、新たな旅に出たんでしょう。


でも考えたら、断ってから出すくらいなら
始めから無視しちゃえばいいんですよね。
そこまでは怖くて出来なかったんだろうな。


くるくる回すってのは今思い出しても可笑しい話です。




文通



その昔は、マンガの月刊誌なんかには
文通希望欄みたいなのが必ずあって、
「お友達になってください」的なコメントと、
住所と名前と学年なんかが掲載されてたんだよね。


けっこう筆まめだったので、
何人かに手紙を出したりしてさ、するとお返事が来るわけ。
「ごめんなさい」みたいなお断りの手紙もあるんだけど、
学年が同じだったり、共通の趣味があったりすると
しばらく文通できたりする。


多い時は雑誌から5~6人、ポートボールで知り合った市内の他校の子2~3人と
やってたから、そのうち誰に何を書いたか分からなくなってしまう。
その点メールはいいですね。送信したのも残ってるから。
時々読み返すこともできるし。


文通はだいたい、半年や1年しないうちに
なんとなくお互い書かなくなって自然消滅みたいなパターンが多かったです。
でも盛り上がってるときは書くのもうれしいし返事が待ち遠しい。


写真の交換したりしてね。
あれはあれで楽しかったな。


その頃ですよ。不幸の手紙が流行ったのは。