ノスタルジック小学校 -23ページ目

娘のメール


ウチの小6の子はPCメールが大好きみたいで、
暇さえあれば画面に向かって友達にぱたぱたと何か打っている。
指使いも早い。文字通りぱたぱたぱたぱたぱたぱた…という感じ。
おまけに顔文字なんかも大好きだから、どっかから勝手に
大量にダウンロードして使ってる。


こないだも動くスマイリーとやらの顔文字?を入手して、
ママも使いなよと言って私にくれた。
ありがとう可愛いね♪とお礼は言っておいた。
でもまだ一度も使ってないんだけどね。


その娘から私にPCメールが届いた。
ウチには1台しか機械はないので、アカウントからアカウントへの送信。
口で伝えりゃいいじゃん、と思いながら開いてみたら


「このメールを7人に送信してから添付画像を開けば、
 好きな子から告られるよ。誰にも送信しなかったら8月31日に
 最悪なことが起きるよ(>_<)」


…チェーンメールじゃん。


つーか、不幸の手紙じゃん。だからメールなわけね。


即返信。
「こらっ。こういうのはやめなさいよ。ママは誰にも回さないからね。
 だいたい今さら誰に告られるっつーの。8月31日を楽しみにしてなさい」


娘曰く、
やっぱこういうのってさー、送っていい子とダメな子がいるじゃん。


――分かってんじゃん。


7人もいなかったからさー、ママにも送らせてもらったの。


――ママにはいいんですか…。


やや脱力しながらも、チェーンメールについてプチ説教しておいた。

今後似たような内容のメールを受け取っても無視することを約束。


でもさ、内緒ですけど
不幸の手紙が流行った頃は
私だっていっぱい書いてたんだよねー。




絶好調!


ガード役を卒業してコートの中に入った私。
勝気でもなければすばしっこくもない。
はっきりいって何の取柄もないんだよね。


でもまあ最上級生ではあるし、下の子に比べれば試合の場数だけは踏んでいる。
なんとなく試合の流れみたいなのは体でつかんでいるところもあった。


それにはっきりいって
試合、大好きだったんだよね!


あの緊張感といい緊迫感といい、
始まっちゃえば終わりまでやりきるしかないような
普段の練習とはまるで違ったペースがたまらなく好きだった。


ある試合で、
相手チームの動きがなぜか手に取るように分かった。
だから普段より強気で球を取りに行って
ばしばしゴールを打った。


そしたら

後半で相手チームのコーチが
「ほら7番だよ!(私のことです) もっと7番マークしろ!!張り付け!!」
と相手チームの子に叫んだ。


やれるもんならやってみぃ。


この日の私はノリまくっていた。そして勝った。

後にも先にも試合中に「マークしろ」
なんていわれたのはこのときだけだ。


思えばあの瞬間が私のポートボール生活の頂点だったらしい。
低い低い山だったんだなぁ。


だけど(だから、というべき?)
あの時の


「ほら7番だよ!もっと7番マークしろ!!張り付け!!」


の声は
今でも忘れられない出来事のひとつです。





最上級生


6年になったら、憑き物が落ちたみたいにサボリ病はなくなった。


相変わらず練習はキツかったけれど、前みたいにゴネたりはしなくなった。
私にも根性とやらがついてきたのかもしれない。
あるいは単に反抗期が終わっただけなのかもしれないけど。


私たちが最上級生になった年のチーム赤磯は強かった!


Aチームは
レイコちゃんヨシコちゃんカオルちゃんを軸にした最強メンバー。
ここは優勝常連さん。
レイコちゃんのカモシカのような足は素早くて天下一品。
ヨシコちゃんは勝気な頭脳プレー、
カオルちゃんはそのふたりをばっちりサポート。
もう赤磯の黄金期といっていいくらいのゴールデンメンバーだった。
黙ってても勝つ。
月曜日には全校朝礼で間違いなく優勝報告。
優勝旗やら優勝カップやら盾やらをお披露目していた。


Bチームは
マサエちゃん小野ちゃん私を含めたおちゃらけメンバー。
どっちかというと敗者復活戦から3位を狙う感じ。
たまに入賞報告なんかすると
「おまえら勝ったんか!?」と男の子たちがビックリしたりして。


それでもマサエちゃんの負けん気な性格と
小野ちゃんのすばしっこい動きぶりは
影の薄くなりがちなBチームをぐいぐい引っぱっていった。

私はというと、

引っぱってくれるなら出来るだけついていきますからという感じだった。






今だからね。その2


ガードをやってると子どもなりにもチームの様子が分かる。


ある試合で、6年のキャプテンの長井さんがミスを連発していた。
そして自分でも悔しいのか、どうしていいか分からないのか、
泣きながらドリブルをするようになった。


ハーフタイムにコーチが
「キャプテン、34足す41は?」といきなり聞いた。
「え?えっ・・と、えーー・・っと」
答えが出てこない。


「75。キャプテン、お前なに緊張してんだよ!しっかりしろ!」


一喝した。


後半、みるみるキャプテンの動きがよくなった。
勝ったかどうかまでは覚えていない。


でも
この日を境に私たちの学年が試合を仕切らなければならなくなった事は覚えている。


長井さんは頭のいい、アニメを書かせたらとびっきり上手な女の子だった。
感受性の強そうな繊細なところもあったから、
最後の試合で、なにか感じることが多かったのかもしれない。




今だからね。


でもいい思い出もたくさんある。
チーム赤磯はとても強かったから、
優勝はじめ3位以内入賞はしょっちゅうだった。


AチームBチームあったんだけど、(もちろん私はBですがな)
試合前は必ずどきどきしていい緊張感を味わったし、
実際の試合で集中してボールを取り合いゴールを決めることは
それまでのつらい練習なんていっぺんに吹っ飛ぶくらいだった。


月並みだけどね。


あんなに気持ちいいことはないよね。


5年ではガードをやった。背が高かったから。それに前にも書いたけど
いちばん練習嫌いな時期だったから、あまり走らないで済むような
ポジションにしてくれたのかもしれない。
コーチといえども友達のお父さんですからね。
色々考えてくれたんでしょうね。
すみません、皆さんに迷惑かけました。


でもこのガードは、自分でもちょっといばれるくらいに成績良かった。
なんせ背が高かったからね。
普通のゴールなんてちょいと飛べば弾くことができちゃうの。


だからチームメイトも山なりの球を打つようになった。
試合でもそれを使うから、結果良いゴールをバンバン打って、
点数も稼げるとこういうわけですね。


私もチーム赤磯には多少貢献したかなーと。


いや都合の悪いことは全部忘れたから言うんですけどね。




土曜日の練習 2


母とは5年の終わりの頃がいちばん険悪だった。


「行きなさいと言うとるだろうがあああああ!!」
「絶えっ対に行かんっっっっ!!!!」


毎週土曜日には
引っぱる叩く押し合う蹴り合うののしり合うの
大ゲンカだった。


そう。ポートボールに行きたくないから。


母はその年、お世話役だったので、毎週練習に顔を出すわけだから、
自分の子どもがしょっちゅうサボって来ないなんて
立場的にマズかったんだよね。
今なら分かる。


でも当時は
いったい何がそんなにイヤだったのかと思うくらい
イヤでイヤでイヤでたまらなかった。
反抗期だったのかもしれない。でもコーチにたて突く度胸は(当時はまだ)なかった。
だから、毎週飽きずに家の中だけでゴネまくった。


相当ひどく母とやりあったらしいのだけど、
実はその時期だけ記憶がスポンと抜けている。
ぼんやりとしか覚えていない。


だから


最近になって母が


「あのときは腹が立って腹が立って・・。
 だからあんたの髪の毛をつかんで思いっきり
 浴槽に頭を沈めてやったよ。覚えてる?」
なんて明るく思い出を語ってもなんのことか分からない。


お母さん、
それって
一歩間違えれば私死んでましたよね?




土曜日の練習

なにを隠そう、私はこのポートボールが
大っっ嫌いだった。


まずはじめにグランドを走る。
それから鉄棒で数回逆上がりをして
うんていを渡って(落ちたらやり直し)、のぼり棒を登って(もちろんてっぺんまで)、
校庭に埋まっているタイヤを端から端まで飛ぶ。
それからコートの端に一列になって、うさぎ跳びの跳ばないで歩くバージョン
(正式名称はわからないんですけど)を数往復、二人一組でネコ車を数往復。
それからパスとドリブルが始まります。
短いパスを何十回、長いパスが何十回。
ドリブルはコートを何往復!
それからゴールの練習!
ここまでが基礎ーー!


次にコートに入りボールを使っての練習です。
試合形式?というのかな。
こういうケースではこう動く、みたいな。


ミスするとこらぁ!と怒号。
最悪はバツとしてダッシュ何回!
もう嫌いで嫌いで嫌いで。


キビシかったですね。
だから強かったんだろうけど。
コーチ役の人は保護者で、誰かのお父さんだったりするんだけど、
今思うとあのキビシさは貴重かな。よくやってくれました。


あんなにイヤでイヤでたまらなかったのに、
今、スポーツ少年団で自分の子の練習を見たりすると
「昔と違って優しいよなぁ。もっと基礎やらせなきゃ。もっと怒んなきゃ。」
なんて思ってしまう勝手な自分。


子どもが「やめたいなー」なんてこぼしても
「もうちょっと続けてごらん、今厳しいのを乗り越えたら
絶対に強いチームになってるから」
なーんてね。よく言えるよね。自分が泣く泣く通ったことなど忘れてるみたいだ。


これも年をとった証だろうか。


でもホント、泣く泣く通ったんだ。




スポーツ少年団


うちには2人、小学生の娘がいるんだけど、
地域のスポーツ少年団に入っていて、バレーボールやらバトントワリングやらをやっている。

毎週末。


上の子は最上級生なので、慣例通りに私は今年、役員の一人になった。
まあお世話役だよね。


2人とも楽しんで活動している様子なので、まあこっちとしても
やりがいのようなものはあるかもしれない。

こういう少年団では親が大変なことはいろいろあるんだけどね。
何にせよスポーツで発散するのは良いことです。


O田小にもスポーツ活動はあった。
男子は野球、女子はポートボール。


ポートボールご存知ですよね?
ほぼバスケットなんだけど、ゴールポストがバスケとは違う。
ゴールの位置で、仲間のひとりが台に乗っかって待っていて、その子に向けてゴールを打つの。
うまく取ってくれれば1点。


台の下には相手チームのガードがひとりいて、タイミングを合わせてジャンプして
ゴールをカットしたりする。
そのふたりが特殊だけど、あとはほとんどバスケです。
体育の授業でもやったって人が多いんじゃないかな。


O田小のポートボールのチーム名は「赤磯」。
これが強いチームだったんですよね。
4年生以上の女の子は暗黙のうちにチーム員。

たしか学校がスポーツを勧めていたから、あえて入団申し込みみたいなものはなくて、

学校が後ろだてである子供会の一員であればみんな

自動的に団員になる感じだったと思います。

詳しいことはわかりませんが。


土曜日の授業が終わり(昔は土曜は学校だったよね)、
いったん家に帰り、お昼ご飯を食べてから、着替えて再び学校に集合。


それから練習が始まる。




夏休みのケーキ 3


アキオちゃんは私のすぐ後ろに立ち、
ボウルと泡立て器を私と一緒に持って「こうやらなきゃ」
と力強く泡立て始めました。
確かに早くて上手です。みるみるおいしそうなクリームになっていきます。


でもそのうち
なんか
私のお尻のあたりに
リズミカルに
当たるものがあります。


(何だろう?)


アキオちゃんは
だんだん息遣いが荒くなって、
そして
お尻に当たるモノも
早く強くなってきました。


(この人一体何してるんだろう?)


すると
アキオちゃんは手を止め、
私に「おいで」
と、奥にある自分の部屋についてくるように促しました。


(やばい)


意味はわかんないけどたぶんすごくやばい。


アキオちゃんの右手が伸びてきて私の手をつかもうとしたとき
ぱっと足が動きました。後ろに。


それで無我夢中で外に出て自分の自転車に飛び乗って家まで帰りました。


ケーキを作るといって出かけたのに
早く帰ってきた理由を、母になんて言ったのか全く覚えてません。
でも本当のことは結局一度もひと言も話せませんでした。


こういう形で人生初告白。


それ以来、彼女に罪はないんだけど、どうしても
メグミちゃんと遊ぶ気持ちになれなかったな。いいお姉さんだったんだけど。





夏休みのケーキ 2

スポンジを焼いている間に、
メグミちゃんはイチゴを洗ってヘタを取り
私は生クリームを泡立てていました。


途中で彼女は「あっ!」と
何か足りないものに気付いたようで、
「ごめん!お店まで取りに行って来る。すぐ帰るから!やっててね」
と、自転車に乗って急いでお父さんのいるお店まで行ってしまいました。
自転車だと片道で10分くらい。すぐに戻っても20分以上は帰ってきません。
私はひとり残されて、仕方なくクリームを泡立てていました。


しかし疲れるんだな、これ。
昔は電動泡立て器なんてなかったからね。
サボリつつボウルに向かっていると、
後ろの部屋からアキオちゃんというメグミちゃんの叔父さんが
手伝ってやろうか?と声をかけてくれました。


アキオちゃんはメグミちゃんのお父さんの弟で、30代のおじさん。
メグミちゃんの家で一緒に生活をしているのです。
子どもから見てもかなりの小男で、あんまりしゃべらない人で、
ちょっと気味の悪いところが(内緒だったけど)ありました。
遊びにいくとたいてい家にいたけど、
メグミちゃんの話ではお店を手伝っているんだって。


その日もやっぱり家にいたのでした。