ノスタルジック小学校 -24ページ目

夏休みのケーキ

近所に住む、パン屋さんの娘はメグミちゃんといい、
私よりも2つ上級で、優しくて面倒見がよくて
大好きなお姉さんでした。
パン屋の娘だけあって、料理が好きで、
食いしん坊の私にときどきおやつを作ってくれたりしていました。


4年生の夏休みに、
「一緒にケーキを作ろうよ。」
というので、お金を出しあって材料を買って、
メグミちゃんの家で準備を始めました。


おやつはふたつ作る予定。
ひとつはスポンジを四角くして、生クリームを塗って、
イチゴを上手に配置して、サイコロみたいにするケーキ。


もうひとつはババロア。こっちはメグミちゃんが作ってくれるんだって。
ババロアなんて食べたことがなかったから、すっごく楽しみ♪
さっすがメグミちゃん!もう尊敬!!



でも結局、このおやつを食べることはありませんでした。






クボのオジ


クボのオジは、
学校の南の方に住む、年齢不詳・正体不明の独身のおっさんです。


赤黒い顔をしていてちょっと見には日焼けしているのか
酔っ払いなのかわからない顔です。
どうかすると浅井慎平を15歳くらいふけさせて
もうすこし品を下げさせてあげれば
クボのオジに似てなくもないかもしれません。


女の子を見ると、いつも
「どうやって子どもができるか教えてやろうか?」
と話しかけます。
今だったらもう間違いなく変質者扱いなんだろうけど、
どういうわけか当時はちょっとした名物じいさんでした。


ある日、お友達のレイコちゃんとマサエちゃんが
「教えて!」
とクボのオジの家に遊びにいったら、
おウチのなかに招かれて、
なんとおいしいソーダをご馳走になったんだそうです。
もちろん実害はありません。


次の日に教室でそのことを語ってくれるふたりは
一日中ちょっとしたヒロインでした。


肝心の子どもをつくるという話の方は、
「男のアソコがとか女のアソコとか言ってた。」
という報告でしたが、私たちにはもうそれで十分でした。


一生懸命語るクボのオジをそっちのけで

ふたりはおいしいソーダを飲むことに必死だったんでしょうね。



こんなおっさんも野放しだったんだよね。





キヨッサン

キヨッサンは、
帰りみちに時々遭遇するレアなおっさんです。
頭に白いタオルを頬被りしていて、
必ず両の手に白いスーパーのビニール袋を
ぶら下げて歩きます。

無言で足早に歩きます。

挨拶しても返事は返ってきません。

まっすぐ前を向いてあっという間に通り過ぎます。


キヨッサンに会った翌日は教室中でその話題。


キヨッサンの正体は不明です。


農作業の帰りかもしれないし、

もしかしたら
いつも子どもには想像もつかないことを

一仕事終えて、急いで帰っているのかもしれません。


クラスでいちばんの
お調子者のヒデオくんの話だと、
そりゃあもう歩くスピードが普通じゃないとか。
人間離れしていてどうやっても追いつけないらしくて
教室では
キヨッサンの歩く姿をみんなで真似て笑い転げておりました。


やっぱりヒデオくんがいちばん上手だったけど、

キヨッサンは近所の小学校の廊下で、

知らないガキたちが、

自分のモノマネで盛り上がって大騒ぎしていることを

ちょっとでも気付いていたかなーと思ったりして。









登下校のはなし 3


女の子たちは、

レンゲを摘んで蜜を吸ったり
ペンペン草を鳴らして歩いてみたり。

カタバミみたいなピンクの花を抜いては、

茎をかんですっぱい味を楽しんだり。


甘くて渋いグミの実を食べたり、

イチジクを失敬したりもしましたね。


マメ笛を吹いてみたり、
葉っぱを丸めて吹いてみたり。
あと、スズメノテッポウも笛になるんだよね。


空き缶を並べて、
おしっこの飛ばしあいをしている男の子を
何度か見かけたことがあります。
さすがにこれは真似できないね。
誰が一番飛んだよ、なんていう結果報告を
ついぞ聞いたことがないのですが、
やっぱり翌日に教室なんかで発表するようなことじゃないのかな。
男の子に聞いてみたいところですね。


あとは、近所に住む
正体不明の人達と遭遇することも
刺激的なことでありました。





登下校のはなし 2


お話したように通学路は南北にまっすぐですから、
どこかに寄り道なんてしたくてもちょっと出来ない。


せいぜいゆっくりゆっくりと歩いて時間を引き延ばすくらいしかないのです。


田舎みちですから、
途中にいろんなものがあります。


きれいな雑草が咲いていたり、
空き缶が転がっていたり、
雑誌が捨てられていたり、
なんとかさん家の犬がいたり、
牛がいたり(いた。)
ヤギがいたり(いたの。)
タヌキの死骸が川に浮いてたり(あったなー。)
ウサギが車に轢かれていたり(これもあった。)。


けっこう子どもには刺激的な登下校です。





登下校のはなし

O田小は、
瀬戸内に金魚のしっぽみたいに張り出した、半島の途中にありました。


さらに半島を、縦に背骨のように山が貫いていて、全体を東と西とに分けています。
O田小の学区は東側にありました。ちなみに西側は隣の町です。


通学路にあたるみちは片側1車線のせまい道路で、
海岸沿いにまっすぐ半島の先まで伸びています。
東を見ればいつも海、反対を見ればすぐに山という
かなりな田舎みちであります。


子どもたちはこのみちを使って毎日O田小に通います。
南北に走る道路ですから、
北から学校に向かう子、南から学校に向かう子がいます。


ちょうど学区の真ん中にO田小は位置しているんですね。


すこし登下校の話なんぞを…。






ゲンコツ

教室が、収拾がつかないほどうるさくなったりとか、
とんでもない大ゲンカが勃発したりとか、
みんなを説教するときの最後の手段がありました。


ガミ子のゲンコツです。


全員を机にちゃんと座らせて、端から順番にゲンコツを喰らわせていくんです。


ガミ子の握ったゲンコは、中指だけちょっと浮いていて、
その中指の第二関節でもってゴツン!ゴツン!と
23人みんなの頭を平等に?小突いていくんですな。


そりゃあもう目が覚めるくらいに痛い。
しばらくの間は心臓がそこに移ったんじゃないか、ぐらいに

鼓動と共に、痛みがジンジンドクドク響いてますから。


だんだんと順番が近付いてくるコワさ。
前の席の友達の頭からゴツン!とにぶい音が聞こえる。
次は自分。


でもよけない。
下手によけてかするくらいで済んでしまうと、
確実にもう1発やられちゃうから(笑)。


でもガミ子は、ゲンコツを順番に喰らわせている間、
口癖とも言えるべき台詞を必ず大声で叫びます。

「みんなはゲンコツ、1回で終わるけどねえ、
 先生は23回も痛い思いをするんだよっ!」


「じゃあ始めからやらなきゃいいじゃん」
思ってても決して誰も言わない。
そんなことガミ子に聞こえたら、
間違いなくもう1発喰らっちゃうから。




ガミ子の方針

ガミ子は私たち1年ボーズに、まず
「人の話は手をひざに置いて黙って聞く」
ことを教えてくれました。


机の上で何かごそごそしていると、
「手悪さをしない~っ!」と怒られました。
そして全員がガミ子の方を向いて静かになるまで話を始めませんでした。


学校からのお便りは
「きちんと折って持ち帰る」
ことも徹底させていました。
上手にふたつに折れない子も、そのうち慣れて出来るようになります。
するとガミ子はみんなの前で褒めてくれました。


学校からのお便りの中で、特に大事なものや
保護者が返事を書くものについては、
「しょう油のしみやポテトチップの油をつけるんじゃないよっ!」
といつも言っていました。


だから私は家に帰ると、母親に机の上をきれいに拭いてもらって、
それから大事なお便りを出していました。


私は今も、子どもが学校から持ち帰ったお便りは、しょう油のしみや
ポテトチップの油をつけないように気をつけています。


きれいにふたつに折って持って帰るように子どもに言い聞かせるし、
人の話は手悪さしないで聞きなさいと注意します。


1年生の1学期にガミ子に教わったことを、
どうやら34歳になった今でも気をつけずにいられないようです。

 

 

 


担任はガミ子

1年の時の担任は島ノ井先生。
オバちゃん先生です。


この先生はあとで4年と5年でも受け持ってもらった。
私たちのいいとこも悪いとこも知り尽くしておられます。
なんというか、私の学校生活すべての中で
一番印象深くて強烈なインパクトのある先生です。
それから私の人生においての
「先生」という存在の基準になった恩師でもあります。
たぶんウチら同級生はみんな島ノ井先生には頭が上がらんです。


たしか4年のときに、男の子の誰かが
「ガミ子」
と呼んで以来、あだ名がガミ子になってしまった訳だけど、
まあここではしょっぱなからガミ子と呼びましょう。


担任はガミ子。


その名の通りにコワい先生だったですよ。
でっぷりしていて声が大きくてガハハと笑ってこらぁ!と怒る。


ガミ子の前ではみんな素直に怒られる。でも萎縮はしない。
悪かったなときちんと反省できてしまう。
そして説教が終わればちゃんと子どもなりの冗談も通じる。
そういうところがすごいなぁって思う。


でもさ、こんな先生けっこういましたよね?
だからみんなよく間違えて「お母さん」なんて呼んでしまったりして。

 

今も自分の子の担任の先生は、無意識にガミ子と比べてしまいます。
しょうがない。


私のなかでの基準の先生だから。

プールないのさ

ところでO田小にはプールがない。

 

そうです。
夏の体育はみんなで海で泳ぐのです!
校庭の、目の前の堤防をまたいだ海で!!
これって今考えるともしかしたらすっごくゼイタクかもしれませんね。


海開きには全校生徒(といっても120人くらい)で浜掃除をします。
このときはまぁなんといってもダレる。
当然だよね。終わってそのあと泳ぐんじゃないし。


だいいち、海のゴミって訳分からんものが多いもの。
破れてたり錆びてたりふやけてたり腐ってたりで、
どれも原型をとどめていない。
さすがに人間の死体まではなかったけど、
なんかそれに近いモノはあったりして(謎)。

 

ちょっと持ち上げると意味不明の汁とか出てきたりしてさ。
「うえええぇ!」とか「いやあぁぁ!」とか「くっさあぁ!」とか
そんな喚声だらけですよ。
私は何を隠そう、みんな一緒にとか一斉でやりましょうとか
大っ嫌いですから。
いかにやってるように見せかけて、いかに要領よくサボるか。(考えたら自分の人生こればっかりかも)

 

浜掃除では、濡れたモノは触らない。汁が出そうなものからは遠ざかる。
先生のそばには行かない。でも離れすぎない。「おーい!誰か!」の
声を聞いたら、手近なものを抱えて忙しそうなフリをする。

 

でもさ、掃除なんてしてると、ゴリとかタイコガニなんかいたりしてさ。
タイコガニって知ってます?丸くって、前に歩くカニなんですよ。