ノスタルジック小学校 -6ページ目

年賀状の中から

年賀状の整理をしなきゃいけないと長い間思っている。

自慢じゃないけれどこういうことには本当に腰が重い。

そんなの100円ショップに行って専用のファイルでも購入して
さっさと入れてしまえばいいだけの単純で簡単なことなのに
――腰が重い。

でもまあ
手始めに年度ごとに分けておこうと、年賀状用の箱を開けた。
ここに引っ越してきた’99年のものから納まっている。かれこれ7年分ですか(笑)。

整理していると
いくつか目の箱の中から
年賀状にまぎれて一通の手紙が出てきた。7年前のものだ。
差出人は中学時代の友だちになっている。
どうして
こんなところに封書がまぎれているんだろうと不思議に思って中を見てみると
数枚の便箋と、半分に折りたたまれた年賀状が入っていた。
・・・思い出した。

そのお正月は
仕事場の友人と一緒に旅行に出かけてしまい、
年末にこの年賀状が出せなかったと詫びる言葉が書かれてあった。
便箋の方には
道中に泊まったホテルの話や
名物のおいしいものやそうでないものや
タクシーの運転手に聞いたちょっと変わった話とか、
それから
もうすぐ今の職場を辞めてしまうことが書かれてあった。

とてもさりげなく。
まるでそばにいるように。
彼女らしい文体と彼女らしいきれいな字で。

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私たちがまだ中学生だったころ、
もちろん電子メールなどなかった時代、
飽きもせずに毎日毎日まいにちまいにち誰かと手紙を交換していた。
思い出してみると
今、こうして年賀状の箱に囲まれているように
当時は、たくさんの友だちからの手紙に囲まれていた。
やっていることは
20年前とちっとも変わらないなぁと自分でおかしくなってしまった。

何を
あんなに一生懸命に伝えようとしていたんだろう。

今となってはもうはっきりとは分からないけれど、
きっとああして誰かに宛てて何かを書くということが
当時の自分たちにとっては必要だったのに違いない。

思春期の
有り余る時間の中で
考えて考えて考えてそれからまた考えた
ありとあらゆる事柄について
文字でもって伝えるという
あのもどかしさのようなものが必要だったに違いない。


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その手紙を読み返して
私も
このブログを
親しいだれかに宛てて書くような
そんな文章で
書き続けていけたらいいなぁと


そんなふうに思った。

豆まき大会


今日は節分ですね。

最近はこの日に
その年の吉方を向いて無言で巻き寿司にかぶりつく
――なんていう習慣が一般的になるつつあるようだけど、
これっていったいいつごろから広まったんだろう?
確かどこかの地方の風習だったように記憶しているのだけど。
その土地の人々が長いあいだ大切に守ってきた風習を
まるで流行モノのように
あっという間に
節分商戦として全国展開してしまうっていうのはどうなんだろうね。
どこのスーパーでもコンビニでも
「これは古くからの言い伝えです」
みたいにしれっとして、さも当然のように書かれているのがとっても気になる。
同じように思っている人はわりと多いんじゃないだろうか。


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それはさておき。


O田小では
節分に豆まき大会を恒例行事として行っていた。
現在うちの子が通う小学校にはない行事のひとつだ。

しつこいようだけど
O田小は全校児童120人余りの小さい学校だった。
だから
「豆持ってこい」と言えばすぐに集まるし
「鬼のお面作れ」と言えば短時間で完成する。
そこが小さい学校の良いところだ。大きい学校だとこんなふうに小回りが効かない。

豆まき大会は、講堂で行われる。

いわゆる体育館の役割を果たす場所なんだけど、いわゆる体育館みたいに大きくない。
校舎と廊下続きにつながっていて、中に入ると
全校児童120人が並んでちょうど収まる感じの広さである。
これ以上狭ければ使用するのに問題だし、これ以上広ければ持て余してしまう。
そんな感じのO田小の子どもたちにとって、いい具合の広さなのだ。
ステージももちろんある。すみにアップライトピアノも置かれている。
グランドピアノじゃないところが奥ゆかしい。

鬼の役は、毎年5年生と決まっている。

6年生だと卒業を前にして鬼はかわいそうだし、
小さい子だと豆をぶつけられて泣き出してしまうからかもしれない。
正確なところは分からないけれど、
5年生というのはたぶん妥当な学年なんだろう。
なにしろ思いっきり翌年に期待できるわけだし。

一斉に
鬼はー外ー!福はー内ー! とみんなで豆まきを始める。
鬼は広くもなく狭くもない講堂の中を逃げ回る。
たしか撒くほうは講堂をぐるっと囲むだけで、移動しないんじゃなかったかな。
鬼は逃げ放題。豆はまき放題。
まあちょっとしたストレス解消にはなるよね。

しばらくすると合図の笛が鳴り、豆まき大会は終了する。

講堂の床は豆だらけ。
掃除がタイヘンだと思うでしょう。

するとまた、すかさず合図の笛が鳴り、
子ども達はさっと、隠し持っていた割り箸を取り出す。

ここからは豆拾い合戦に早変わりするのだ。

割り箸で、いかに多くの豆をつまんで拾えるか。
ズルいことはナシ。だって周りの友だちみんなが見てるからね。

あっという間に豆はなくなる。ビックリするくらい早いんだこれが。

幼稚園くらいの年齢でやるにはちょっと早すぎるかもしれない。
小学生くらいの、手先がしっかりしてきた年齢にくわえて、
なんといってもあの年頃の、単純な闘争心があればこその豆拾いだろう。
だけどO田小の場合、
箸使いの練習になるとか、そこまでは計算されていない気がする。

思うに掃除が面倒だからという理由がいちばんだったに違いない。

なにしろアバウトな小学校だったから(笑)。

保護者のいろいろな視点


末姫が通う幼稚園で、先日、音楽発表会が行われた。

大きいホールを借り切っての演奏会。

300人の全園児と、その保護者やじいちゃんばあちゃんが
市内のとあるホールに詰め掛けた。

会場に着くと
普段はジャージやスラックスにTシャツ
あるいは、園児とおそろいの園指定の体操服を着て
泥まみれになって子どもたちと遊んでくれている先生方が
なんともあでやかな姿で迎えてくれた。
ピンクや、シックな黒いパーティードレス
色とりどりのストールやボレロを身にまとった先生たち。

園では髪振り乱して大声をあげて、
アクセサリーといえば首からぶら下げたホイッスルくらいだけど
この日はみんなきれいに髪を結い上げ後れ毛も美しい。
イヤリングもネックレスもきらきら輝いている。

みんなぴちぴちの20代だもの。

若いっていい。

でもちょっとだけパーティーコンパニオンみたいに見えたりして。


園長は緑色のロングドレスで登場した。

以前にも書いたけど
細木数子田中真紀子を足して2で割った感じの園長。
スパイスとして野村サッチーを振りかけてもいいかもしれない。
ステージ上での緑色のロングドレス姿の園長は
田舎のカラオケ大会の常連さんみたいだ。

見れば、
先生たちのひとりとして、園長のドレスと色がかぶっていない。

力関係がよくうかがえますね。


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子ども達の演奏は大変素晴らしかった。
どんなふうに素晴らしかったか、
書き始めると止まらなくなりそうなので割愛。

ところで
最近は保護者もビデオカメラ持参の方が多いけれど
少し前の席に座っている
どこぞのお父さんの撮影している画面がたまたま目に入った。

そこには
コンパニオン先生がきれいに納まっていた。
それもいちばん派手顔の先生が、
お宅のカメラずいぶん性能いいですね、というくらいアップで。

家に帰って再生してから夫婦ゲンカにならなきゃいいけど
なんて
よそのご家庭の事ながら心配になってしまった。

いや
上の子たちが幼稚園児だったときに実際あったんですってば。


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ウチじゃないですよ(笑)。



大人の味


夫が生ハムを買ってきた。珍しく。

特別高級なものでもないけれど
いつもよりはちょっとだけおいしそうなクラスもの。

うちは夫婦揃ってビール飲みなもので
(キリンさん、こんなに貢献してますよ。なにかください。笑)
生ハムといえどもやっぱりビールのつまみである。

そこへ長女がやってきた。
以下は夫と長女ふたりの会話です。

「何これ?おいしそう!ちょっとちょうだい♪」

「だめだよ!これはビール飲む人だけ食べられるの」

意外にケチである。
まあ最後には分けてやるんだけど、
とりあえずはこう言わないと気がすまないいわゆるB型人間なのである。

「えーーっ。(←ものすごい非難の目)」 

食べ物に関して、女の子に冗談は通じないのだ。

「・・・じゃあアタシ、ビール飲む!」

ぐびっ。

ぐあっ!にがっ!ぜんぜんおいしくないじゃん。
どうしてお父さんもお母さんもこんなにニガイもん飲んでるの?」


ほっとけ。これがないと一日が終わらないんだから。

「まあ大人の味ってやつかな。まだまだお前にゃ早いね」

「アタシも大人になったらビール好きになるのかなー」

まず間違いないだろうね。遺伝子的に。
なんて思っていたら
夫が長女に向かってこう言った。

「ビールがおいしいと感じるのはなー、世の中に甘いことなんかひとつもないって分かったときだよ」


なるほど。



――なるほど。


雪景色


朝起きたら、雪が積もっていた。

無音で降る雪は
なんとなく意味深で、なんとなく意思を感じてしまう。
雨や風も生き物みたいに思うときがあるけれど
あいつらには音があるからね。おお、やって来てるな、と思う。
こっちにも覚悟みたいなのが出来る。
でも雪には音がないからコワイ。
はっと気付いたらたっぷり積もっていたりすると
なにかメッセージでもあるのかなと勘繰ってしまう。


朝10時ごろ、いちばん近いスーパーに買い物に出かけた。
もちろん歩いて。
この頃は
自転車か車に頼りっきりで、なかなか歩くことがないから
なんだかとても新鮮だった。もちろん雪も降っているし。

駐車場にも車の上にも自転車の上にも
垣根にもブロック塀にもカーブミラーにも掲示板にもフェンスにも
どこもかしこも同じようにみんな雪が積もっていた。

いつも遊ぶ公園の
ブランコの下も砂場も鉄棒の上もすべりだいもカバさんの遊具も
やっぱり同じように真っ白になっていた。

狭い路地を歩いていると
狭いカーブの向こうから大きな車がゆっくりとやって来た。
轍を避けて
傘を差したまま脇によけると
運転手のおっちゃんが注意深く左右を見ながら、慎重に通り過ぎていった。
すれ違いざまにこっちを向いて
親指を立ててウインクをした。

入り口が小さなテラスになっているレストランの前では
オーナーの女性がひとりで
ニットキャップを深く被りマフラーをぐるぐる巻きにして
テラスの上で大きな雪だるまを作っていた。
目が合うとにっこり笑って
「まるで子どもに帰ったみたいだよねー」
と白い息を吐きながら
ちょっと照れくさそうに、作りかけの雪だるまを見せてくれた。

大きな雪だるまがひとつと
小さな雪だるまがたくさん出来ていて
通りすがりのおばさんが
「雪だるまがお客さんをお迎えしているみたいじゃない?」
とやっぱり笑顔で答えていた。



雪が降ると
街も人々も、ちょっとだけ変化するようだ。

ギターを弾きながら。


まあ私の腕が上がったり下がったりする話はどうでもいいとして

この年になって楽器を始めると
所詮それは暇つぶしでしかないんだなぁと実感することが多い。

いや別に今さら
バンド組んでメジャーデビュー目指したいんですとか
シンガーソングライターになってCD発売したいですとか

無謀にも
そういう夢を持つほうがいい、とかいうことじゃまったくなくて

なんというか
レッスン曲をレッスンのために練習しているというその目的性というのが
ときどき空しい。

いや
空しいというのとはちょっと違うのかもしれない。

目的を持ったり
目標を掲げたり
そういうのももちろん大切なことなんだけど、

ただ
例えば
時間だけが無尽蔵にあって
理由もなく
闇雲に何かに夢中になった時代というのがふっと懐かしくなったりする。

本であれば何でもよかった。
音楽であれば何でもよかった。
映画であれば何でもよかった。
マンガでも、ファッションでも、アイドルタレントでも、映画俳優でも
とにかく何かに熱中できた頃というのが誰にでもあるに違いない。

無条件に。無目的に。


あなたにもありましたか?


どんなに厚い文庫本を貸してもすぐに読み終わり、
「もっと長いのないの?」 と口癖みたいに言っていたヤツも
英語の時間はキライなのに
マドンナとプリンスの歌の事になると、時間を忘れていつまでも話し続けて困ったヤツも
「ハードロックとヘヴィメタルとパンクの違いって知ってる?」
いきなり問いかけてきては得意気だったヤツも
卒業記念のサイン帳に 「絶対に大物になる!」
でっかい字で書いていたヤツも

きっとみんなそういうことが
それぞれの人生の肥やしになっていったんだろうなと思う。

無目的なりに。


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暇つぶしにギターを弾きながら、そんなことを考えた。




ギター教室

ギター教室に通い始めてはや数ヶ月。
(こちらもよかったら→ ささやかな秘密 )

ちょっとは上達したかというと…これがビミョウなところである。

だいたい週一回、1時間のレッスンで
メンバーの方はウクレレ1名、ドラム1名、そしてギターが1名。
たまにセンセイがベースで参加してくれる。

センセイというのはちょっと年齢不詳な感じのおじさんで、
灰色のやや長めの髪の毛を後ろでひっつめていて
なんとなくいつもチェックのシャツにジーンズという雰囲気のフォークおじさんである。
たぶん若い頃はフォークソング一辺倒で
まだ黒かった髪をやっぱり長くしていてバンダナを巻いて
ベルボトムとか穿いたりして、風呂にも滅多に入らないような青春時代だったんだろうな…
と勝手に想像しまくりである。
今がもう少し昔なら
近隣の素人のど自慢大会あたりで審査員なんかをやっているかもしれない。

そんなセンセイにお世話になっているわけだけど、
レッスンといってもかなりアバウトである。

とにかく楽器を握ってとにかく弾いちゃえといった感じ。
分かんないところはあったら聞いて、音なんか出なくていいからさ、
そんなの初めから弾けるわけないんだし。


アバウトというかいい加減というかかなりあっさりしたレッスンを毎週受けている。
この人教える気あるんだろうかと初めに一瞬不安になったけど
それはそれでクセになりそうなアバウトさである。
そういうのもスゴイよね。

選曲は
とくに理由もなく(ないんだと思う)
いとしのエリー と 亜麻色の髪の乙女 の2曲。

まあようやくなんとか形になりかけているんだけど
自宅で時間のあるときに
どっかのサイトとか楽譜集とか眺めながら
全然違う曲を暇つぶしに弾いてると
おっ、自分かなりうまくなったじゃん
なんて思うんだけど
どういうわけか
このレッスン曲に限ってなかなかうまくならない。
どういうことなんだろう。


       ――明日に続くかも。

ドラマですよ


さて年が明けて
新しいドラマが次々と始まりましたね。

女の子たちも高学年くらいになると
友だちとTV番組の話題で盛り上がる。
今クールもどのドラマを見るか、友達と情報交換に忙しい様子の長女。
次女もそれに付き合ってだいたいお姉ちゃんと一緒に見ている。

今のところ 西遊記 と N'sあおい
このふたつはわりと一生懸命見ているようだ。
なかなか面白いもんね。

昨夜のN'sあおいは
私と長女と次女の三人で見た。
末姫は寝ていたし、夫は仕事でまだ帰宅していなかったのだ。

このドラマ、見ている方はご存知でしょうが

まだ新人の救命救急担当のナースが(石原さとみちゃんね)
本院でなにか重大なミスを犯し、系列の病院に飛ばされる。
物語はそこから始まるのだけれど、
その異動先の病院にはアクの強そうなスタッフがごろごろしている。
腕は確かそうだけど態度がまるで軽薄な内科医師に柳葉敏郎
お金を取れそうな患者に対してだけ異常な執着をみせる腹黒医師に西村雅彦
仕事は出来るが主人公に冷たくて近寄りがたい雰囲気の指導役ナースに杉田かおる
他にも
片平なぎさ佐戸井けん太小野武彦八嶋智人とキャストが豪華である。
興味のある方はどうぞご覧になってください。
いかにもフジテレビが作ってますという感じのドラマですから。
(原作は漫画だということですが。)

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ところで

昨夜のN'sあおいの話ですが、番組の中盤に差し掛かるころ
主人公のナース、あおい役の石原さとみちゃんが
いくら注意しても
甘いものの間食をやめられない糖尿病患者に対して手を焼くというシーンがあった。
軽薄医師の柳葉敏郎に相談したところ
こんなアドバイスを受けた。

「糖尿病がひどくなると、インポになるって言ってみな。
 そうすりゃすぐにやめるから。」



長女と次女が同時に振り向いて私を見る。


「お母さん、インポってなに?」


あはは。


こういうのって避けては通れない問題だねぇ。


世のお母さま方は
こんな時になんと言って切り抜ける(あるいは対決する?)のだろうか。

参ったね。

お年玉の話をしよう  2


父方の祖父母というのは
やや厳格で、しつけや礼儀にも厳しかった想い出がある。

年末には毎年訪ね、そこで三が日を過ごしていた。
しんとした部屋の中で
祖父が祝い箸の袋に、ひとりひとりの名前を毛筆で書いていく姿とか
火鉢の上に祖母がかけた小さな薬缶の、しゅんしゅんというかすかな音だとか
日が落ちると
長い廊下に面した大きな窓の、分厚い重いカーテンを順番に閉めていく、
しゃああっという乾いた音だとかを思い出す。

廊下の外れには蜜柑の箱が置いてあって
暖かい居間の炬燵の上の蜜柑がなくなりかけると
よく祖母に籠を渡され
「お蜜柑を入れて来て頂戴ね」
と頼まれていた。
ひんやりとした、長い暗い廊下をいちばん隅の蜜柑箱まで歩き
ひとつ、ふたつ、みっつと籠の中に入れては
また元の部屋まで戻る。
たったそれだけのことなのに
どういうわけかまるで知らない土地にお遣いにでも行かされたような
そんな心細さがいつも付きまとっていた。

お年玉の袋にも
やはり祖父の毛筆の字で私の名前が書かれてあり
中にはいつも数枚ほどの新札が、
跡がつかないくらいに軽く三つ折にされて入っていた。

優しく、そして厳しい祖父母だった。

対照的に
母方の祖母は、まるで映画にでも出てくるような田舎のばあちゃんだった。
もんぺを穿いて割烹着を着てちゃきちゃきと動き回る。
お正月には大皿に盛られた豪快な根菜の煮物とはまちの刺身、
それから日本酒と親戚のおじさんたちの笑い声。

お年玉は、このおじさんたちから頂戴していた。

ばあちゃんからは一度ももらったことはない。
ばあちゃんはそういうハイカラなことはしないのだ。


***************************************


中学2年のお正月だった。

そんなばあちゃんが私を呼んだ。

和室の箪笥の引き出しを開け、
中からポチ袋を取り出した。

「これをあげような」

初めてばあちゃんからもらうお年玉だった。

そのポチ袋はいびつな形に膨らんでいて、かさかさと音がした。

手のひらに中身を空けてみると、
丸くて、
プラスチックで出来ていて
パンダの絵が描かれた
かわいらしいおもちゃのペンダントが出てきた。

「お年玉。」

ばあちゃんは、はははと照れるように笑った。

中2の私は
洋楽に夢中で海外文学にも夢中で、
部活の先輩とも学校の先生ともちっともうまくいっていなくて
制服のスカートを長めに穿き靴下をくるぶしまで下げて
髪の毛のてっぺんをつんつんさせて
毎日くさくさとした気持ちで学校に通っていた。

おもちゃのペンダントなんて
正直に言えば
全然うれしくもなかったのだけれど

その時のばあちゃんの照れたような笑い顔が
私に素直に
「ありがとう」
と言わせた。

きっとどこかでパンダのペンダントをもらったんだろうな。
お正月に来る孫のために
大事に取っておいたに違いない。
ばあちゃんからの、最初で最後のお年玉。


今も実家にそのペンダントはある。

お年玉の話をしよう

このあいだ、バレーの練習の合間に
子ども達とお年玉の話になった。
「いくらもらったと思う?」
ひとりの子がそう聞いてきたので
「うーん、4万円くらい?」
と、私にしては少し高めに設定したつもりで答えた。
すると隣の友だちと顔を見合わせてくすりと笑い、
「ぶっぶー。もうちょっと多いよ」
「えー?じゃあ5万円くらいかなー」
「うんとね、、もうちょっと」

結局ひとりの子は7万円、もうひとりの子は6万円だと教えてくれた。

ちょっと分けてよ
と言いかけてぐっとこらえ(笑)、
大人らしく「大事に使いなよー」と、まあありきたりな言葉で会話を終えた。
ふたりとも半分は貯金するそうだ。えらいえらい。

うちに限って言えば
私はひとりっ子だし、夫のきょうだいは海外に住んでいるので
お正月にここら辺でみんなが集まっても、若い親戚というのが少ない。
だからうちの子たちのお年玉は、
お正月明けに新聞で発表される平均額よりもいつも少ないらしい。
まあ不満はなさそうだし、そんなのもらえるだけありがたいんだからゼイタク言われても困るよね。
だいたい小学生がいっぺんに数万円もらってどーすんだと思わないでもない。
時給千円に満たない金額で働いている大人だって世の中にはたくさんいるんだからさ。
という考えは、ズレているんだろうか。

  
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ところで沖縄のお年玉というのがちょっとスゴイ。

あなたがもし、何か縁あって沖縄に親戚が出来たとする。
女性なら沖縄の男性と結婚したとか、男性なら婿養子にでもいったとか
そこら辺は適当に想像してみてください。
さてお正月が近付き、お年玉はどうしたらいいかきっと考えますね。
あなたならどうしようと思うだろうか?


まず、ポチ袋を用意してください。
ここで50枚以上は用意したほうがいいだろう。
なかには70、80枚という人もいるかもしれない。
それから年末の早いうちに銀行に行き、
手持ちの現金を、ポチ袋と同じ数だけの500円玉に両替してもらう。
あとは元日に間に合うように袋に入れていきましょう。

沖縄というのは親戚づきあいをとても大事にするところだし
また親戚の数がとてもとても多い。
お正月ともなると自分の家でじっとしていることはまずない。
大人は毎日親戚の家を回り、料理をご馳走になり酒をいただく。

そんなわけでだいたい大人はお正月中はみんな酔っ払っているから、
子どもは子どもで親戚ごとに団体になってお年玉を獲得しに行く。
数人から十数人で
自分達の足で回れる範囲の親戚の家を、お年玉をもらいに訪ねていくのだ。 
昼間のうちに(笑)。

あなたが二日酔いの頭でぼんやりと昼間家にいると、
次から次へと元気いっぱいの子ども達が訪ねてくる。
それも半端な数じゃない。
一日に最低でも十人は新顔が来る。
次の日も。
また次の日も。


500円のお年玉で十分ですね(笑)。


それが沖縄のお年玉事情。


ところ変わればなんとやら。